テレビの力 |
17:02 |
ものすごいとは思っていましたが、テレビの力をあらためてまざまざと見せつけられました。
毎朝見ている読売テレビの「す・またん」。
5月3日には、出席者による「す・またんバンド」のライヴがひらかたパークであるのですが、かねてより行くつもりの私は、当日朝の「す・またんラジオ」に、
「地元民の辛坊さん、枚方公園近くの美味しいお店を教えてください」
と、ハガキを出しました。
森アナウンサーがそれを読んでくださいました。
辛坊さんはしばらく考えて
「うーん、駅から左へ曲がって散髪屋さんの横のお団子屋さんは美味しいよ。
それから、王将がある。
ここの王将は二階もあるからね」
と教えてくれました。
なので私は、淀屋橋で、以前の放送で森アナウンサーが言っていたひらパーGO!GO!チケットを買って枚方公園で降りました。
はじめて降りる枚方公園駅でしたが、散髪屋さん近くのお団子屋さん(喰らわんか餅)も、王将もすぐわかりました。
王将はオープンが11時30分だったので、まだ支度中でした。
若いお兄さんがふたり、フライングで入って行って追い出されていました。
仕方がないので、お店の横で立っていました。
すると、駅からひらパーに向かう人たちが
「あっ、やっぱり王将あるわ」
「ここ、二階もあんねんな」
と口々に言って通りすぎて行きました。
10分ほど待って開店した時には、私の後ろに3人並んでいました。
私が席につくと、次から次へとお客さんが入ってきます。
たちまちお店は満員になり、スタッフさんはてんてこ舞いの様子でした。
そんな若いスタッフさんの一生懸命さが爽やかなお店でした。
ひらパーに着いたのは12時ちょうど。
なんとか芝生席の上のほうの隅っこに入れました。
ステージがはじまると、それまで雲っていた空に晴れ間が広がり、楽しいステージでした。
帰りに甘い物好きのヨメに喰らわんか餅を買って帰りました。
ライヴが終わってお土産に。これを買って帰る人もひっきりなしでした。
想像力と責任 |
08:09 |
「1Q84」を読んで、今、村上春樹作品がマイブーム(最近の若い人はもうこんな言い方しないか・・・)です。
で、今読んでいるのが「海辺のカフカ」。
まだ上巻を読み終えたところですが、本筋と直接関係のないところで変に納得してしまった記述がありました。
第15章、主人公のカフカがひょんなことから数日を暮すことになった、山奥の小屋の蔵書の中から見つけたアドルフ・アイヒマンの本について。
アイヒマンという名前はナチの戦犯としてぼんやりと記憶していたが、特に興味があったわけではない。たまたま目を引いたから手に取っただけだ。僕はそこでその金属縁の眼鏡をかけた髪の薄い親衛隊中佐が、どれくらいすぐれた実務家であったかという事実を知ることになる。彼は戦争が始まって間もなく、ナチの幹部たちからユダヤ人の最終処分―要するに大量殺戮―という課題を与えられ、それをどのように行えばいいかを検討する。そしてプランをつくる。そのおこないが正しいか正しくないかという疑問は、彼の意識にはほとんど浮かばない。彼の頭にあるのは、短期間にどれだけローコストでユダヤ人を処理できるかということだけだ。
そして、このことに関して、カフカを山小屋に連れてきてくれた大島さんのメモ書きがあります。
「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。(中略)想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。このアイヒマンの例に見られるように」
これを読んで、はたと気づき、恐ろしくなったことがあります。
国の政治をつかさどる政治家というものは、国民の生命と健康と安全を守ることが根本的な使命であるはずです。
それなのに、現在の日本の政治家、とりわけもっとも影響力のある内閣の閣僚が、なぜ国民の安全を確保し幸せな未来を創ろうとしないのか???
それは、その立場にいる人々の想像力が欠乏しているからだったのかもしれません。
彼らには、今進めようとしている行政が、未来の国土にどのような影響を与えるか、ということを想像することができないのではないでしょうか?
ナチならぬ、通産省のお役人、財界などに「原発再開」という使命を与えられ、それをただひたすら真面目に、純粋に事務的にこなしているだけだからなのでしょう。
格安パックツアー |
20:38 |
「高速道路って、ホンマによう整備されましたなあ」
天井にシャンデリアの輝く大型バスのリクライニングシートに身をゆだねながら、Mさんがつくづく言いました。
私も同感です。
旅行会社の格安パックツアーに、ヨメの仲良し3人組とそのダンナたちで参加しています。
ヨメたちは、特にスケジュールに制約はありませんが、Iさんと私は勤めがあるので6人みんなで旅行に行こうと思えば、土日にならざるを得ません。
わずか1泊2日で、西日本の定番観光スポットをてんこ盛りで見て回ろうというのです。
まず日本三景安芸の宮島、島根の小京都津和野、萩で一泊して晩はふぐ会席をいただき、翌日には日本最大のカルスト台地秋吉台、そして最後に岩国錦帯橋です。
私は、このどれもが未訪問で、イッキに見聞を広げることができました。
私は列車の旅のほうが好きですが、こんなふうに観光地を点から点で結んで、おいしいところのつまみ食いみたいに移動することはできません。
どれか1箇所、うまく移動ライン上に乗る点を組み合わせても多くて2箇所を巡るために、何日もかかって入念にスケジュールを組み、それでも当日のダイヤのアクシデントを配慮して当日は常に修正を念頭に入れていなければなりません。
日本列島改造の掛け声の元、山を削り谷を埋め、縦横に張り巡らされた高速道路のネットワークを利用して、パックのバスツアーの旅は、きわめて効率よく、しかも快適に瞬く間に遠く離れた観光地に私たちを連れ回ってくれます。
しかも、その土地土地で、街起こしのガイドさんたちに地元在住ならではのレア情報を聴きながらの街歩きも楽しめます。
半世紀前、木造モルタル造りの薄暗い小学校の教室で、先生が教えてくれた秋芳洞の石柱の成り立ちを思い出します。
数億年の歳月をかけて地下水が掘った洞窟。
さらにその天井から落ちる小さな水滴に含まれる、ほんのわずかな石灰が残ることによって成形された石柱。
そんな幻想的なところが、最新の特急列車に乗ってもまる1日ではたどり着けないはるか遠くにあるのだ、と、頭の中でその光景を思い浮かべました。
パックツアーのおかげで今日、それをまの当たりにできました。
いろいろな批判や問題点も取り沙汰されますが、便利な世の中になったことは確かです。
格安ツアーを企画してくれた旅行会社、安全に運んでくれた運転手さん、誘導につとめてくれた添乗員さん、そして何よりいっしょにいるといつも楽しい同行の5人に感謝です。
地震がきたら・・・ |
20:10 |
4月14日、セミナー
「地理学から考える自然災害」
を受講しました。
講師は立命館大学歴史都市防災センター 文学部地理学 高橋学 教授です。
西宮市は、防災教育では日本でいちばん進んでいると思われます。
でも、今年大学に入学する学生の大半は平成生まれです。
阪神大震災を覚えている人はほとんどいません。
災害を克服してきた世代の方々が、その体験を伝えてもらいたいと思います。
統計を取ると、日本ではM7程度の地震が5年に3回程度、確実に起こっています。
そんな中で西宮の周辺では、六甲山の東側がものすごく盛り上がって行っています。
六甲山頂に露出しているのど同じ地層が岡山では地下1mに埋もれています。
六甲山は海抜500mのところで上下ふたつに分けられますが、その階段状の部分に奥池の住宅街があります。
奥池住宅街と同じ、かつて海の浅瀬だった地層は大阪では地下500mくらいのところにあります。
それらは十万年前の地層ですから、その時同じ高さだった地面が、十万年でプラスマイナス1000m、一年に1mmずつ進行しているといえます。
近畿地方の敦賀と徳島と伊勢を結んだ三角形の内側は、東西から力が加わって圧縮され、密集した活断層地帯になっています。
でも、そんな断層だらけのところでも、倒壊する建物としない建物があります。
たとえば、淡路島に、野島断層が保存されていますが、その中に、庭に断層が走っている民家が残っています。
その家は倒壊していません。
活断層のすぐ横でもきちんとした地盤の上に建っていれば潰れないのです。
一方で阪急の伊丹駅は、北半分が三万年前の地層、南半分が新しい地層で、ちょうどその境の上に建っていました。
阪神高速道路でも、桁脚が倒壊したところを古地図で調べてみると、そこはかつて海だったところときれいに一致します。
あれだけ被害の大きかった神戸の三宮元町地区で、南京街は驚くほど被害が少なく、震災直後からお店を開けて、被災者の救援に貢献していました。
これも古地図と照合すると、かつては一面の海だった中で南京街付近だけが天橋立のように帯状に陸地だったということがわかりました。
一方で加納町からフラワーロードにかけては、かつて天井川だった生田川が作った土手をわざわざ取り除いて軟弱な川原を露出させた地域で、これにあわせて帯状に家が倒れているのがわかります。
同じ天井川の川跡を繁華街にしたところでも、旧湊川の新開地のように天井川の土手をそのまま利用した商店街は、意外なほど倒壊した家屋が少なくなっています。
さらに、震災で死亡した人の位置分布と、かつて、河川や池沼だった場所とが驚くほど一致しています。
きれいに宅地造成されてしまった分譲地は、きれいに整地された後の土地を見ただけでは、そこが元々どんな場所だったのか見分けがつきません。
しかし、庭を接する隣の区画でも、元々大地だったところを購入するか、池や河川を埋め立てたところを購入するかで、命を分けることになります。
これらは、震災後に調査してわかったことです。
いろいろな過去の資料を調べていけば、どこが脆弱な土地でどこがしっかりした地盤かがわかってきます。
しかし、私のような部外者には限界があります。
あなた方西宮市民の手でさらに詳細を調べ、周囲の方々に伝えていってほしいのです。
講演を聴き終えて思いました。
震災の体験を伝えること…
それなら私にもできるかもしれません。
ところで講演後の質疑に答える形での先生の発言に、納得したことがありました。
マスコミなどでは、
「日頃から、どこに避難するかを確認し、災害が起こったらただちに避難してください」
と言っています。
でも、その人たちは本当に避難する必要があるのか、ということを私は問いたいと思います。
建物が倒壊すると、道路がなくなります。
日頃考えていた経路では逃げられません。
余震が来て、崩れかけていた建物が再度倒壊するかもしれません。
そして、指定された避難場所は自分が今いる場所より安全なのか?
広域避難場所に指定されている場所の6割は危険という調査結果もあります。
やや危険という評価を加えると、安全な避難場所は1割です。
ほとんどの避難場所が学校ですが、学校というのは、往々にして、家が建て込んで生徒が増え、それを受け入れるために、今まで人が住んでいなかった池や谷を埋めて学校を造っているからです。
なるほど、地震が起きても、自分のいる建物が倒壊していなかったら、まずそこに留まることを考えたほうがよさそうです。
そして、その建物が高層建築で津波が予想されるなら、その建物のできるだけ上層階に上がることですね。
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