ふくさん  -- 週末のお楽しみ☆ --

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記憶媒体雑感 19:26
 

朝刊を読んでいると
「三菱ケミカル ブルーレイディスク DVDディスク生産から撤退」
という記事がありました。
ブルーレイディスク(BD)は現在、国内勢で5社が自社生産しているそうですが、撤退は初とのことです。
今後は台湾やインドのメーカーに生産を委託するそうです。
DVD
の生産は200760億枚でピークになり、13年度は37億枚に半減、BDはそれよりずっと少なく、10年度で約1億枚、しかもそのうち95%は日本での販売とあります。
BD
の販売枚数がわずかなのは、対応パソコンが少ないのと海外にはテレビ番組などを録画する習慣がないためだそうです。

たしかに、最近DVDBDも安くなってきたと実感しますが、その割に購入していないなと思います。
これまで買ったものは何に使うかというと、私の場合、録画機の外部保存かパソコンのデータバックアップです。

録画機のほうは、VHSからDVDに代わった時、これは便利だと思いました。
録画する時に、テープの残量を確認して、足りなければそのテープに録画されているものが上書してもいいものだったかどうか確認し、よければ巻き戻しを、だめなら別のテープを探し、Gコード番号を読んで入力(初期のものにはこの機能もありませんでした)するなど、面倒な作業から解放されたからです。
しかし、DVDレコーダーなるものを購入して、それ以上に驚かされたのは、内蔵ハードディスクの存在です。
見たい番組があれば、とりあえず内蔵ディスクに録画して、見終わったら消去してしまう。
この機能によって、永久保存したいテレビ番組なんてそうそうないことに気付かされました。
だから、DVDレコーダーとかブルーレイレコーダーといいながら、ほとんどDVDBDを必要とせずにすんでしまっています。

パソコンのほうは、まさかの時のためのデータのバックアップに、最初はフロッピーディスク、そしてCDDVDと使って来ましたが、USBメモリがそこそこ安くなってからは、バックアップの手軽さも手伝って、もっぱらこればかり利用しています。
最近購入したパソコンには、リカバリ用のディスクが添付されておらず、自分でパソコン内のドライブから作るようになっていました。
その容量が、DVDなら十枚近くにおよぶと書いてあります。
USB
メモリなら16GBを用意するようにとのことです。
DVD
ディスクを何度も出し入れする鬱陶しさを考えると、迷わずUSBメモリを購入していました。

長時間におよぶ画像などでもなんなく見ることができるようになったパソコンですが、そのデータ量は肥大する一方ですね。
それに伴って、記憶媒体も目まぐるしく代わっていきます。
また媒体の種類も増えてもいきます。
SD
カードなんて、どれだけ種類があるのでしょうか?
携帯を買い換えた時、それまで使っていたSDカードとは互換がなく、別のを買いに行ったときのことです。
いろいろなSDカードの中から規格に合うもので価格の一番安いのを選び、念のため店員さんに
「この携帯にはこれでいいんですよね」
と確認すると、
「それでもいいですけど、信頼性の点でこちらの日本製のほうがおすすめです」
と言われました。
店員さんの示したものは価格が倍です。
「じゃあこれ、すぐ壊れるんですか?」
と聞くと、さすがに自分の店で売っているものをすぐ壊れると言うはずもなく、
「いえ、あくまでも信頼性の話です」
とのこと。
こんなことをしているから国内産業が空洞化するのだとわかりつつ、信頼性が劣るといわれた安い外国製を買ってしまいました。
その後もこれまで、外国製の記憶媒体を使っていてこれといった不具合を感じたことはありません。
かつてのように、メイド・イン・ジャパンのブランドが圧倒的に秀でているとも思われない世の中になっていると思います。

時を同じくしてコダック社の経営破綻が報じられました。
私は比較的最近まで銀塩カメラを使っていましたが、最近ではコダックのフィルムが安売りされるケースが増えていました。
他に主力製品をシフトさせたフジフィルムなどと違って、あくまで主力商品としてフィルムを売らなければならなかったコダックの苦渋の戦略だったのでしょう。

栄枯盛衰と言ってしまえばそれまでですが、かつて使い馴染んだものが遺物として葬り去られてゆくのには一抹の淋しさも感じます。
そんなある日、昔買った井上陽水やオリビア・ニュートンジョンを聴きました。
レコード盤に慎重な狙いを定めて針を落とし聴いていると、めんどうくさいなあ、と思いつつも、なんだか贅沢な気分にもなってきます。

 

| くらし・環境 | この記事への投稿:comments(2) | trackbacks(0) | posted by yasuis
震災メモリアルコンサート 20:17
 

115日、松下記念ホールで「阪神・淡路大震災メモリアルコンサート」がありました。

今年は

〜東北に届けよう!

西宮からの応援メッセージ〜

という副題が付けられています。

 

まずステージにあいさつに立たれた金谷こうすけさんから

6年前、夙川桜祭りの時期にここ、松下記念ホールで夙川音楽街道のコンサートをはじめました。

3年やって、会場を香櫨館に移したのですが、それだけでは…

ということで昨年、阪神・淡路大震災を風化させないために、という思いから、116日にふたたびここ松下記念ホールで震災メモリアルコンサートを開催しました。

そして、その2か月後の311日、あの東日本大震災が起こりました。

今回の第2回目は、これを踏まえたコンサートにしたいということで、被災経験を持つ西宮から東北にメッセージを送ります」

と述べられました。

 

震災当時、まさかこんなことが私が生きている間に、また日本で起こるなんて思ってもいませんでした。

しかも、今回は地震の規模がはるかに大きいばかりでなく、大津波が発生し、それによって原子力発電所が制御不能になるという事態にまでおちいっています。

そんな中で音楽活動を通じて、夙川からメッセージを発信しようとする人たちが集いました。

私もご近所のHさんと参加しました。

 

ステージは、金谷こうすけグループ、桑名ハルコさん、松村組の順で進みました。

桑名ハルコさんの歌声には、あいかわらず癒されます。

震災関連のボランティアも、変わらず支援されているハルコさんですが、こんなエピソードを聞かせてくれました。

17年前の117日、東京に住んでいた私は、その日レコーディングの予定が入っていました。

家には20年来テレビはありません。

隣の人が、

「ハルコちゃん、神戸のほうが大変なことになってる。

テレビ見においで!」

と教えてくれました。

母の住んでいる西宮は、ひどいことになっていることを知りました。

ほどなくして西宮の母の元に来て、たしかホッカイロか何かを頼まれて、まったくの素っぴんで夙川のダイエーに買いに行きました。

そこで、今日のステージのミキシングをしている彼が私を見つけて声を掛けてくれ、一緒にいた金谷こうすけさんを紹介されました。

それが金谷さんとの出会いです。

西宮で暮らすようになって、今では本当に深いお付き合いになりました」

金谷さんと桑名さんて、震災が結ぶ縁だったのですね。

 

松村組の太鼓はすごい迫力です。

大太鼓が鳴ると、ホールの内装壁がビンビン震えます。

松下記念ホールは、年期の入った建物とはいえ、決して安普請ではありません。

その壁や床、はては腰を下ろしているシートの座面までが振動し出すのです。

この松村組は、昨年、陸前高田市の廃墟となった公民館の前で、演奏を行ったそうです。

「海に近いその公民館は、毎年和太鼓の大会が行われていた場所なのです。

避難場所に指定されていたため、高台で被災した人までもが、わざわざそこに避難して来られていたそうです。

そこに津波がやって来て多くの方が亡くなりました。

その方々の慰霊のために太鼓を演奏してほしいという依頼があったのです。

館内は津波で押し寄せた車や瓦礫で入れないので、建物の前の屋外で演奏しました」

 

誰も聴く人のいない海岸の瓦礫の中に、松村組の太鼓の音はどんな風に響いたのでしょうか?

YOU TUBEで見られるそうなので探してみたいと思います。

 

松村組が最後に金谷さんのバンドとコラボで演奏してくれた「神戸発」という曲は楽しく軽快で、まさに神戸に勇気を与えてくれる演奏でした。

 

開演前には玄関前で豚汁が振る舞われました。

温かい豚汁を、冬枯れの桜の木の下ですすると、17年前の光景がよみがえりました。

今の幸せを改めて思います。

| こんなとこ・あんな場所 | この記事への投稿:comments(2) | trackbacks(0) | posted by yasuis
高津神社のどんど祭り 20:11
 

昨年、ヨメは自治会の役員に請われ、あれこれお手伝いしていました。

そこで知り合ったご近所さんに、お正月の松飾りを自作する集いがあると教えていただき、長女とふたりで参加したそうです。

 

図画工作は苦手なヨメをそこそこ得意とする長女がサポートして、首尾よく完成させることができました。

おかげで、我が家は例年になく立派な松飾りで今年のお正月を迎えることができました。

松の内が終わるころ、

「門戸厄神(もんど)さん行ったら松飾り、焼いてくれるんやろか?」

とヨメ。

「門戸さんでもええやろけど、高津神社(こうづ)さんやったら19日にどんど祭りやで!」

と私。

「ほな、それ行こか!!

話が纏まって19日、式典に向かう晴れ着の女性が街を彩る中、役目を終えた松飾りを外してレジ袋な入れ、高津さんに行きました。

 

2年ほど前に来た時より、人出は心なしか少ないように思いますが、大阪市内の高級飲食店が出店する露店には長い行列が出来ています。

その列の隙間を縫いながら、本殿脇のどんどの火に向かいます。

火の番をされている人に渡そうとすると、

「せっかくですので、直接くべてください」

とのこと。

ヨメと長女の力作を、今年の安寧を願って投げ入れました。

 

屋台に混じって、恒例の富札を売るテントが出ています。

一枚300円。

持ち帰るのに難儀するような、大型賞品が当たるのですが、富札自身も風情ある書体で書かれているので、それだけでも記念品として楽しめます。

 

実は、2日ほど前に兵庫区民寄席にいったのですが、トリの笑福亭松枝さんが演じたネタが「高津の富」でした。

元来はこの季節の噺ではないと思うのですが、本家の高津神社が「どんど祭り」のイベントとして復活させたので、新年の高座にかけたのでしょう。

ちなみに、桂春駒さんには、この時期の定番、初天神を聴かせていただきました。

 

松飾りを焼いていただいたあと、せっかくなので露店で何か買いたいと思いつつ歩いていると、大きなコロッケのようなものがふたつ乗った紙皿を持っている人がちらほら目にとまりました。

「あれ、美味しそうやな!」

とヨメ。

売っているお店を探し出して、長い行列の最後尾に並びました。

 

待つこと十数分、ゲットした揚げたてを手に、石段下の広場に行くと、これもどんど祭りではお馴染みの、くつみちかさんの綱渡りの演技中でした。

ママになり、子育てに奮戦中とのことですが、そんなようすはみじんも感じさせません。

あいも変わらず、いつ落ちるかハラハラもので演じられる綱渡りは観衆の視線を釘付けにします。

 

おあつらえ向きの段差に腰をかけ、綱渡りを見ながらあつあつの揚げ物をいただきます。

一口頬張ってヨメが…

「これ、コロッケちゃうわ。

わあ、何の肉やろ、私いらんわ」

と、私に食べかけをくれました。

確かにさっくりと揚がったころもの中味は、じゃがいもではなく、たくさんの具が詰まっています。

中にけっこう大きな肉片があるのですが、このテイストがヨメはだめなようです。

私には、さほど口に合わない味ではなく、ボリュームたっぷりのフライを、ほぼふたつ食べました。

 

ハッピーマンデーになった成人の日を過ぎると、さすがにお正月気分ともお別れです。

満腹感に浸る私と、すきっ腹をかかえたヨメは賑わう高津さんをあとにしました。

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2012年元旦 06:00
 

あけましておめでとうございます。

 

去年のお正月から、地球が太陽の周りを一回転して、またお正月がきました。

太陽暦というなら、ちょうど冬至とか、春分とかから始めたらよさそうなものですが、

なぜか冬至から10日ほどたった中途半端なところが11日と決まっています。

ですが、産まれたときからこの時期のこの日が11日だったので、すっかり慣れてしまって、この日を迎えるとおめでたく思います。

特に昨年のような天変地異があると、家族親族が揃って元気にお正月を迎えられただけで幸せだと感じます。

 

そんなことを考えながら寝床を出て、冷えきったリビングに行くと案の定、まだ誰もいません。

家族はみんな夢の中のです。

 

ムスメらは昨夜、それぞれに友達と西宮のえびすさんあたりに、早々と初詣を済ませて帰って来ているので、当分起きては来ないでしょう。

別刷り紙面と華やかなチラシでずっしり重い新聞を取ってきて、テレビ欄をみると、ぎっしりお正月番組で構成された中に、レギュラー番組を見つけました。

NHKEテレビ「テレビ体操」。

チャンネルを合わせてみると、いつもと同じ時間ですが、内容はお正月の特別仕立てでした。

華やかなスタジオに、いつもは日替りのインストラクター、多胡さん、西川さん、岡本さんとビアノ伴奏の名川さん、幅さん、加藤さんが勢揃いでお正月のあいさつをされ、そのあとアシスタントの大橋さん,有賀さん、金子さん、横川さん、押見さん、五日市さん、松下さんが全員揃って、新体操的なダンスを演じてくれました。

そのあとは、ラジオ体操第一でシメです。

毎朝、長いこと体操をしてきましたが、元旦に見たのは初めてだったことに気づきました。

今年のお正月は爽やかにおめでたく明けました。

 

体操が終わっても家族は一向に起きてくる気配は微塵もありません。

きのう途中で寝てしまったテレビ番組の録画を見て何時間かのちのお雑煮を楽しみに待つことにします。

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年の瀬に・・・ 08:33
 

湖北方面からの下りの貨物列車や快速電車が屋根を白くしてやって来る季節になりました。

毎年この時期になると、寒かった湖北での暮らしを思い出します。

 

そんな週末、クリスマスイブの前日は天皇誕生日ですが、私の勤務先は出勤日でした。

でも次女が、家族の忘年会を企画してくれたので、早めに仕事を切り上げて、大阪、十三の「白鷺」という豆腐料理店に急ぎました。

 

実は、長女がこのたび縁あって入籍し、1月の末には旦那さん(Hgちゃんといいますが…)と神奈川県のほうで同居を始めるので、家族が揃って食事できることも、そうそう無くなると思われるのです。

「白鷺」は、まいどお世話になっている大衆居酒屋「養老乃瀧」のななめ向かいのお店でした。

通いなれた界隈に、こんなお店があるとは知りませんでした。

 

残業の連続に加えて新居の準備と、公私共に忙しいHgちゃんですが、ようこそ参加してくれました。

前日、仕事を終えてから最終の新幹線に乗るのにも冷や汗ものだったようです。

「横浜線が遅れていて、駄目かと思っていたけど、新横浜に着いたら新幹線も遅れてたみたいで、改札口は閉鎖されてたけど、

「今なら階段駆け上がったら乗れますよね!!

って駅員さんに言って通してもらって、やっとのことで乗って来たんです」

 

さて「白鷺」の方は噂にたがわず、湯葉や豆乳など絶品の豆腐料理の数々に舌鼓をうちました。

 

Hgちゃんは、お酒もけっこういけるほうです。

なので、ふたりで焼酎や地酒もたらふく飲みました。

私はムスメが産まれた時、早く大きくなって一緒にお酒を飲みたいものだ、と思っていました。

その夢を、ムスメたちはもう何度も叶えてくれましたが、今日はまた息子と飲むという体験もさせてもらえました。

 

社会的にもプライベートでも、いろいろなことがあった一年でしたが、終わりよければすべてよし、幸せな気分で年の瀬を過ごすことができました。

 

長女たち、来年は、いよいよ同居して実質的な新婚生活がはじまります。

若いふたりに幸多かれと願います。

 

さて、本年はこれで最後のブログになると思います。

皆様、よいお年をお迎えください。

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